みなさん、おはこんばんちわ!
2023年ラグビーワールドカップにおいて、追加招集となった山中亮平選手。
彼は何故「諦めない男」と言われているのか?
その所以は壮絶な経歴にありました!
また、彼の生い立ちや出身学校の情報もお届けします!
これを見て、ラグビー日本代表をより熱く応援しましょう!
山中亮平選手 プロフィール
氏名: 山中亮平(やまなか りょうへい)
生年月日: 1988年6月22日
出身地: 大阪府大阪市
身長:188cm
体重:98kg
ポジション: スタンドオフ(SO)、センター(CTB)、フルバック(FB)
所属クラブ:神戸製鋼コベルコスティーラーズ
スーパーラグビー出場回数:サンウルブズ 18試合
日本代表キャップ数:13
2023年ワールドカップ追加招集に至るまで
2023年9月
ラグビーW杯プール第2戦で日本はイングランドに敗れ、1勝1敗となり、
決勝トーナメント進出が厳しい状態に陥る。
そのイングランド戦にて FB(フルバック) セミシ・マレシワ選手が、
前半6分のキック後に右脚付近を負傷。
プレー続行が困難となり、途中交代していたのだが
18日にその負傷の為、日本代表を離脱となった。
その補充の為、山中亮平選手が追加招集という形で日本代表に参加する事となった!
山中亮平選手 出身
生まれ
出身は大阪府大阪市
出身中学校: 大阪市立真澄中学校
大阪市住之江区にある公立中学校です。
中学校ではサッカーをしていたが、かなりやんちゃだったようです。
体育教師の薦めでラグビーを始めたが、「サッカーではファールでもラグビーでは許される」点に
楽しさを覚えたそうです。
出身高校:東海大仰星高校
大阪府枚方市にあるラグビーの名門校です。
山中亮平選手は高校3年生の時に、
花園で全国高等学校ラグビーフットボール大会優勝という素晴らしい成績を残し、
高校日本代表にも選出されました
出身大学:早稲田大学
山中亮平選手は、2007年に早稲田大学に入学し
1年生の時からレギュラーに定着し
大学1年と2年の時に全国大学ラグビーフットボール選手権大会優勝を果たしました。
4年生の時には副将を務め、惜しくも学生日本一に届きませんでしたが、
大学時代に日本代表に選ばれ日本代表初キャップを獲得しました
大学卒業後の苦難、我慢、復活!
2011年神戸製鋼コベルコスティーラーズに入団し、
2011年ラグビーワールドカップ日本代表候補でもあったのですが・・・
同年のIRB(国際ラグビーボード)の薬物検査で、ドーピング陽性が出てしまいます。
その結果、2011年4月28日から2013年4月27日まで2年間資格停止処分ということになりました。
原因は、ドーピング薬物ではなく、口ひげを伸ばす為の育毛剤に
禁止薬物が含まれていた為だったようです。
しかし、資格停止処分をは免除されませんでした。。。
その結果 神戸製鋼コベルコスティーラーズを退部し、神戸製鋼の契約社員となりました。
その後、処分を2年間の処分期間を終え、2013年神戸製鋼コベルコスティーラーズに再入団しました。2015年のワールドカップでは日本代表のバックアップメンバーに選出され、
同年12月にはサンウルブズの2016年スコッドに選ばれました。
そして、遂に!
2019年ワールドカップ日本代表に選ばれました。
2年間の処分期間もあきらめずに努力をしてきた結果ですよね!
山中亮平選手の家族
2012年結婚
お相手は一般の方との事です。
お子さんは3人、との事で
子供もラグビーをされているようです。
まとめ
山中亮平選手は大阪府大阪市出身。
中学校は、住之江区の大阪市立真澄中学校に通い、ラグビーに出合う。
高校は、大阪府枚方市にあるラグビーの名門校、 東海大仰星高校に通い、大活躍!
大学は早稲田大学に入学し、ここでも輝かしいい活躍を見せる
大学卒業後、神戸製鋼コベルコスティーラーズに入団するも
同年、口ひげの育毛剤の成分が原因でドーピング陽性が出てしまい、2年間の資格停止処分
しかし、処分期間を終えた、2013年神戸製鋼コベルコスティーラーズに再入団
2019年のワールドカップで日本代表となる。
2011年に資格停止、 2012年に結婚、2013年に復帰。
山中亮平選手の苦難と復活の裏には、きっと奥さんの支えが大きく影響していたのでしょうね。
山中亮平選手のプレースタイルの特徴は、変貌自在なプレーと献身的なプレーとの事。
この点に注目して、ワールドカップを応援しましょう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!!
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